みがってみかん

みかんぐみロスによる身勝手な主張

運と命

運命とは、ある辞書によるとこう解釈されている。

 

【運命】人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。転じて単に、将来。

 

かなりシンプルな書き方だが、大事なところは「人間の意志にかかわらず」というところだ。

 

わたしの解釈は少し違う。書くならこうだ。

 

【運命】運による偶然かまたは命による必然かにより、身にめぐって来る吉凶禍福。偶然または必然のめぐり合わせ。転じて単に、能動的あるいは受動的に受け入れた将来。

 

つまり運命とは、大きく2つに分けて考えることができる。

 

まず「運」による解釈。偶然、または自覚できない、あるいは受動的。自分の意思にかかわらず起こる事象により影響を受けた未来。例えばこうだ。

 

いつも通りの時間に、いつものように準備を整え、いつもと同じように車で会社に向かった。にもかかわらず途中の交差点で事故にあった。

 

もちろん必然の要素が含まれている。例えば「点検はしたか?」「体調管理は十分だったか?」「曜日や天候が違う」など。

 

それら外的要因が必然的に事故を招いたのであれば、世の中事故だらけだ。

 

いつも通りだった。細かな違いはあれど大まかには同じだった。少なくとも「自分の意思に関わる部分においては」同じだった。でも事故は起こった。

 

必然か偶然か。多くの方は偶然と判断するだろう。そう、この日事故にあうことは運命だった。

 

一方「命」による解釈は必然、または自覚下において、あるいは能動的。自分の意思によるものにもかかわらず、まるで偶然のように起こる事象により影響を与えた未来。例えばこうだ。

 

高校3年間、必死で勉強してきた。志望校に関する調査もばっちりだ。自分に悪いところはない。でも落ちた。ボーダーラインは超えていた。受かるはずだった。

 

もちろん偶然の要素が含まれている。例えば「受験生が例年より多かった」「例年に比べ内容が簡単だった」など。

 

それら外的要因が偶然的に合否を決めるのであれば、合否なんて予測不可能だ。

 

間違いなく合格するはずだった。細かな不安はあれど大まかには他人と同じだった。少なくとも「自分の意思に関わる部分においては」間違いなかった。でも落ちた。

 

必然か偶然か。多くの方は必然と判断するだろう。そう、受験に失敗したのは運命だった。

 

ここまで読んでいただいて、解りづらい部分もあるだろう。受験に落ちたことは必然であり運命ではない、とか。

 

わたしがここで言いたいのは「運命は自分で決める要素(命)と、そうでない要素(運)の集合体だ」ということだ。つまりこの受験生は、落ちるという運命を自分で選んだのだ。

 

よって、運転手は「事故が起こらないという運命を選び続けてきたが、その日だけは事故が起こる方を選んでしまった」

 

受験生は「合格する運命を選ぶために努力してきたが、不十分だった」ともいえる。

 

運が悪かったのではなく必然だっただけでもない。間違いなく選びたい運命のために努力し偶然を排除し、確実にしていく。それでも起こる偶然にいかに対処するか。

 

単純じゃないってことだよ( ̄▽ ̄)