情報と選択
ある人が言った。
「1日2リットル以上の水を飲みなさい。痴呆症の予防になる」
「人間の体の70%は水分でできている。だから水分を十分に補給することが大切だ」
なるほど。水分をいっぱいとることは大事なんだね。
ある人が言った。
「固形物より水分の方が、吸収率が高いため太りやすい」
「なるべく水分補給を抑え、汗をかき老廃物を外に出すことが大事」
なるほど。水分補給は適度にね。
ある人が言った。
「清流のなかに少し汚れた水が入っても大丈夫なように、常に体内の水分をきれいに保つ事。これがドロドロ血を防ぐことになる」
「水分補給が不十分だと、熱中症や意識障害の原因になる。のどが渇く前に飲むことが大事」
なるほど。常に水分は補給しないとね。
ある人が言った。
「糖分や塩分の取りすぎに注意。特に甘い飲み物や、スポーツドリンクは注意」
「水をただ飲んでも汗やおしっことして外に出るだけ。野菜や水分量の多い食べ物から摂取すべし」
なるほど。ただ飲んでてもダメなのね。
で、結局どっちなの?
塩分量・糖分の割合をチェックし、吸収しやすく、適切な量で抑え、しかし常備し、、、水飲むのってこんなに大変だったっけ?
例えばの話で水分について書いたが、ほかのどの食品・食材についても同じこと。ある人は良いといい、ある人はダメだという。
その「ある人」が専門家だったり医者だったり研究者だったりするからタチが悪い。
しかも同じ人でなくいろんな人が出てくるから、だれを信じていいのやら。
こんなことが毎日繰り返されている。なんて生きづらい世の中なんだろう。
もちろん、自分の信じる人の言うことを選択し、従えばいいだけの話。
でも他の人からの情報は気になるもの。
ある人からある主旨の話題を聞く。その人に、別の人は違う意見を述べていたと質問しても、そのひとは否定するだろう。あたりまえの話。自分の主張の方が正しいと言うに決まっている。
逆に否定しないのであれば、その人の言うことは信じられないということになる。絶対に正しいことは世の中に無いとしても、信用度というものがあるのだ。
情報に必要なのは選択だ。自分にとって必要かどうか。ただ問題は、必要な情報として信じたものを揺らがす情報、例えば「最新の研究では」とか「ある科学雑誌に掲載された新事実」とか、信じるかどうかは自分次第といいつつ、有益に感じる情報には影響されるものだ。
要はCase by caseなのだ。ある時はこの情報を用い、違うシチュエーションでは異なるソースから引用する。今の自分に最も適した情報を選択し、今すぐに必要無いと思われるものは引き出しに入れておく。
でもね、そんなことできるかい?だれかアドバイスをおくれ。今わたしに一番適したものはどれなんだい?
それが本音だろう。だから迷う。
そんな時はこう考えるようにしている。
「なんとかなるさ」